安政元年(1854年)象山は吉田松陰の渡航事件に連座し、9年間国元蟄居を命ぜられ、 松代藩御安町にある江戸詰家老望月主水の下屋敷に住まうことになった。 その屋敷を聚遠楼と称していたが、 その一角にあった別棟を書斎として客間に当てていたのが高義亭である。 幕末、多くの明治維新の志士たちが 訪れるとしばしばこの二階の七畳半の間で対談し、国家の時勢を論じた由緒深い建物である。 昭和53年(1978年)現在地に移した。長野市指定文化財である。



 【神社参道からみた高義亭】



【高義亭内部 対談の間】

 万延元年九月長州の高杉晋作は吉田松陰の書を持参して象山先生と豪談したと誌されている。 更に文久年間には長州藩の久坂玄瑞、山形半蔵、土佐藩の中岡慎太郎等が次々と来訪したときに 使われた対談の間を当時の姿のまま見ることができる。




Copyright(C) 2004 by Zouzan Shrine All Rights Reserved.